三度目の正直。私が中国人を嫌いになった理由。

私がアンチ・チャイナなのは過去のブログを見て頂ければ一目瞭然ですが、ここまでくるには長い歴史があります。

私と中国の間には切っても切れない縁があるのです。

一度目は2017年、3カ月の短期留学、北京。

当時、真剣にやっていたスポーツが中国に関係があり、コーチが中国人だったり、合宿が中国で行われたり、中国は身近な存在でした。

私は全日本大会の前に集中的に練習しようと、北京にある体育大学に短期留学しました。

当時の生活といえば、思い出すと自分が何故それをできたか理解に苦しむぐらい、悲惨なものでした。私にとっては技術の習得が全てで、あとはどうでもよかったんだと思います。

中国人の中でも労働者階級以下の人が住むような家にステイし、日によって仕事があったり無かったりする人達に囲まれて暮らしていました。私が学校に向かうと、いつも同じお爺さんが、『上班吗?(仕事かい?)』と挨拶してくれたのを覚えています。

ワンルームにトイレと一畳くらいのキッチンが付いてましたが、バスルームは無く、トイレの水道管に繋がる白いタンクからホースが出ていて、小さなシャワーヘッドが付いていました。

実に奇妙なトイレ一体型のシャワーでした。和式便器の真上でシャワーを浴び、シャワーで毎回、トイレが水浸しになりました。すごく惨めな気分になったのを覚えています。

もちろん水圧は弱く、まともに頭が洗えないどころか、身体も洗えませんでした。お湯は五分ぐらいしか出なく、新しいお湯が温まるまですごく時間がかかりました。

キッチンは鉄の台が置いてあるだけで、ガスは引いてありませんでした。私はスーパーでコンセント式の電磁調理器を買い、自炊を始めたのですが、まだステンレスの鍋が出回ってない時代で、買った鍋は2日で錆びました。
それをまた綺麗に洗って、スーパーで買った不味い乾麺を茹でて食べたり。鉄の味がして捨てたり。

不潔な生活は続けられなく、大学の友人に頼んで、学生寮のシャワールームを使わせて貰うようにお願いしました。

カード式で、お金をチャージして機械にかざすとお湯が出てきます。
聞いた感じはモダンかもしれませんが、その浴室はアウシュビッツそのものでした。

照明は暗く、タイルはダークグレー。排水口なんて計算されてしっかり作ってありません。仕切りもなし。みんな裸で、丸見えのまま入浴します。

酷い匂いが漂っていて、不衛生でした。

ひと部屋におよそ20のシャワーがあり、部屋は全部で3部屋ありました。トイレは隣にあるけれど、仕切りがないので使いませんでした。

一度入ろうとしたら、しゃがんでいる女の子と目が合ってしまいました。みんなトイレはシャワーと一緒にしていました。

土足で入れる更衣室には、大人が一人入れるくらいの青いゴミバケツがあり、そこに残飯、靴下や生理のナプキンの使用済みが投げ捨てられていました。

昔、中学校で自分達がトイレ掃除をしていた時です、体育の先生が入ってきて、汚物入れに入ったものがキチンと包まれて捨てられていないのに気付き、次の授業の際に女子生徒全員を叱りました。

片付ける人の気持ちを考えろ、と、そういう事が平気で出来て、恥ずかしいと思わない女性にはなるな、という事でした。そんなことを思い出し…ここは全く違う国なんだと実感したのを覚えています。文化とか教養とか、共生ではないんです。

シャワーはヘッドが付いていなく、蛇口が高い所に付いているだけでした。水圧が強い蛇口はいつも人気で、大体ジャイアンのようなデカイ女の子が使っていました。

私も何度か水圧の強い蛇口を試しましたが、頭に直撃して天使の輪のように広がってしまい、洗うどころじゃないので普通のにしました。

シャンプーも現地で買っていたし、洗う場所がそんな感じなので綺麗になってなかったのでしょうか、人生で初めて頭にコバエがたかっていました。

考えるだけでおぞましい。今の私と比べたら対極にいた昔の私。屋台のフードも平気で食べていた。

その時は、まだ、中国の文化が好きだったんです。素朴で親切な中国人も沢山いました。今みたいに妙に金持ちだったり、知恵がついて金があれば何でもできると思うようになる前だったんです。

また、自分の種目のお手本となる選手達は、3回死んでも彼らにはなれないな、と思わせる凄さがありました。私はリスペクトしていたのです。

2011年、一度目の結婚、そして二度目の中国

前夫は中国人で、常に楽な道を選ぶ人間でした。それでも日本では勤勉に働き、一般的な収入もありましたが、彼の願いで、中国に戻ることにしました。東京の生活のリズムが早すぎて、疲れてしまった、とのことでした。

中国東北部にある地方都市で、新しい生活を始めました。一度目の滞在よりはだいぶマシでした。しかし、中国は中国。しかも地方都市。

またお風呂の話になってしまいますが、当時のバスルームもバスタブが無い狭いタイプで、前夫にお願いして木の桶の風呂を買って貰いました。

毎日体育座りをして入り、見た目は五右衛門風呂でした。やはりシャワーは水圧が弱く、ジムに入って浴室を使う事に。

水圧の弱いシャワーは、私の暗黒時代の引き金なんです。今でも水圧の弱いシャワーを見ると過去をフラッシュバックします。

中国人以外の国籍はいない、そのローカルなジムで、シャワーを浴びるのは日課になりました。そこもやはり毒ガス室のようなレイアウトで…。

薄暗く、排水口の設置が悪く、広い長方形の部屋に壊れかけたシャワーヘッドがぶら下がっている感じでした。
もちろん仕切りはなく、物を置く場所も無い。

日本では考えられませんが、シャワーヘッドの穴がキチンと空いていないんです。ヘッドから溢れ出た水が予想外の所から落ちてくると、すごくウザイ。まともに洗えない。そこでも真っ直ぐなシャワーは奪い合いでした。

しゃがんでトイレを堂々とする女の子達。

腹部に赤い糸のネックレスと翡翠の恵比寿様のチャーム。なんだかとっても中国でした。でもその時も割と平気だったんです。

ある日素っ裸のおばちゃんが、ビニールいっぱいの白い物体を突き出してきて、アンタこれアタイの背中に塗って!と言いました。おばちゃんがその日の朝作った豆乳のカス、オカラでした。当時の私は、そーねー皮膚にいいもんねー、なんて言って塗ってあげられたんです。

やはり中国人が旦那だったので、見る目が違ったんだと思います。中国人を蔑視することは、自分の旦那を蔑む事と同じで、結果として自分の決断を間違っていたと認めることになるからです。

その後、前夫がマンションを購入すると決断し、借りていた部屋を出て、購入したマンションの内装を工事する間に、家が無い時期が2カ月ほどありました。

前夫は元スポーツ選手で、自分がトレーニングしていたチームに戻ってコーチがしたかったのですが、何ヶ月ボランティアをしても、上司からのイエスは貰えず、コーチをしに行く日は次第に減っていました。

そんな折、比較的近い場所に物件を購入したので、友達の家に住まわせてもらう、という案から、省の国家施設の一部のトレーニングセンターで仮住まいする、という案に変わりました。

彼に言わせると、今までタダ働きしたんだから、住まわせて貰うのなんて当たり前だと。中国とはアンビリーバボーな場所で、私とは何のゆかりもない場所に、2カ月ほど内緒で住んでいたのです。

中は大学寮のようになっていて、かったい板のベッドに、勉強机が三セットずつ設置された、三人部屋でした。前夫は、1セットを別部屋に移動して、私達だけの空間を作りました。

トイレや洗い場は男女共同で、私は下は7歳から22歳ぐらいまでのプロ選手達と、昼夜を共にしました。

シャワールームは別棟の体育館に併設されていて、冬は極寒、マイナス30〜40度になる外を歩いて、防寒服を着てシャワーを浴びに行きました。

そのシャワールームもやはり蛇口式で、見てもあーまたか、と慣れてしまっていましたが、選手達がシャワールームにバケツを持ってきて足で洗濯をするのには驚きました。

私も洗濯機などなかったので、すぐに手で洗濯するようになりました。

パンツを履いたままシャワーを浴びて、頭を洗ったらパンツを脱いで手で洗う、洗い終わったら、濡れないように高い場所にかけて置く、そんな彼女達の習慣を見習って、同じ様に生活してたんです。

そんな生活をさせた夫をどう思っていたか?もちろん嫌でした。

彼は選手やコーチに顔が効くので、よく食堂に行って食事をしてきました。私はどう考えても行けないので、彼の子弟に残飯だかなんだか、よくわからない”飯”を持って帰ってきて貰っていました。

食堂以外の持ち出しは禁止なので、彼らは薄いビニール袋にご飯も肉も野菜も全部入れてまとめて持って来ました。どう見ても、食事ではありませんでした。餌…

全然盗めない時もあるし、いい料理の時は夫婦共に喜んで食べたのです。
今考えれば信じられない。でもその時は現実だったのです。

私は誰かに施しを受けて生活するのが嫌でたまりませんでしたが、前夫は違いました。
貰える物はなんでも貰う、使える奴は誰でも使う。使える僕は優秀な人材。

晴れて家が完成し、引っ越しが済むと、彼はもう殆どチームに顔を出さなくなって、家でゴロゴロするようになりました。どうやら、正式な仕事としてオファーが出ないと分かったようでした。

そこから離婚までは、以前のウツのページで書きましたが、二人が同じ方向に向いていないのは明らかだったので、私は直感的にこの関係は続かないと分かっていました。

ニュージーランド留学でも中国人ばかり。私をアンチにした中国人達

離婚後お金を貯め、英語の勉強にニュージーランドに行きましたが、私のクラスの8割は中国人でした。

彼らは英語がわからないと、中国語で話し、教え合うので、言葉が分かる私には邪魔でしかなかったです。

悪口も中国語。一度、あまりにもうるさい中国人達を注意したら、中国語で罵られました。

ルームシェアも中国人だった。欧米人はアジアンとのシェアを嫌がった。日本人は違う、特別で綺麗好きだ!なんて思っても、彼らにとっては皆んな一緒、インド人さえもアジアンなのです。

なので、よっぽどラッキーでない限り、ユースホステル、日本人フラット、中国人フラット、学校寮が選択肢になります。

日本人とも一度住んだのですが、家で日本語を話してしまうので、集中するには適して無かったのです。中国人フラットだったら、中国語と英語両方勉強できる、と甘い考えでした。

中国人の貸主は、私が電気や水を使い過ぎだと、一般の二倍三倍支払わせた。また、家で会っても挨拶もなく、一日中寝間着を着ている重量オーバーの中国人夫妻は、一体どうやってニュージーランドに滞在しているのか不明でした。

キッチンは夫妻が7-9時、12-13時、18-20時、と使うので、唯一の気晴らしの料理も出来ませんでした。

都市部から離れているのに安くもない家賃を払い、中国人に疲弊した私は、退去すると言いました。契約違反だから賠償金を払えと言われ、最後までお金を取られました。

私が日本で何時間働いていて、血と汗と涙の結晶で、勉強しに来てる、なんて彼らには知ったこっちゃないんです。彼らが楽にお金儲けできるなら、なんでもするんです。

悔しくて泣きました。前の夫だけでも充分なのに、海外に来ても、中国人からは逃げ切れないのかと愕然としました。

私は30を過ぎていましたが、一回りも上の私をデートに誘うのはみんな中国人でした。

ヤケクソになっていた訳ではないが、海外で一人で過ごすのはキツイんです。たまには誰かとゆっくり話したりお茶したりしたい。
一番お金持ちそうな男の子とデートに行きました。

彼が連れて行った場所は彼の寮で、食堂に入りました。『僕は食事済んだから、貴方は遠慮なく食べて』と言い、食堂のご飯をご馳走になりました。

管理人には、新しく入寮したい人が見学に来たんだけど、食事を試食したいと言っている、と言い、タダで給食を出してもらったのです。

他にも、22歳の中国人に求婚されたり、色々ありました。
やはり日本人とは違うんです。

彼らはもっと、気にしない、自分中心なんです。自分がどうしたいか、が一番先に来る。
相手がどう思うか、周りがどう思うか、は殆ど気にしません。実際、中国人から、周りの目が気になるし…なんて言葉は聞いた事がありません。

そんな概念が無いんです。
そんな人間が、世界の全人口の内のマジョリティなんて、悲しすぎます。もう逃げられないという事です。

また、その場所に、今自分が住んでいる事が奇跡です。

旦那が仕事を探している時に、中国だけは辞めてと懇願しました。

でも唯一ゲットしたオファーは中国でした。カルマなのか、起死回生のホームランが隠れているのか。いずれにせよ、私の心境は複雑です。

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