帝王切開出産後の最初の一か月〜中国北京コロナウイルスの最中で

中国で帝王切開で出産後、5日間の入院で退院した私は、コロナウイルスの最中タクシーで帰宅しました。道は相変わらず閑散としていて、開いているお店は殆ど無く、乾いて灰色の空の北京はまさに死んだ街でした。

中国は住宅が各アパート/マンションでひとつの団地のようになっていて、それを小区と呼びますが、中には20棟近くの商業施設と住宅の複合ビルが含まれひとつの街を形成してます。それが数え切れなく乱立している北京ですが、私の住む小区だけでなく、全ての小区は政府や公安と密接に繋がった管理組合に運営されていて、東西南北にあるゲートは、カードがないと入れませんし、警備員が24時間監視しています。もともと、敷地内には無数の監視カメラが設置されていて、誰が歩いているか公安は常にチェックできる状態ですが、コロナウイルス以後は、敷地内への出入りが更に厳しくなり、毎回の体温チェックと連絡先や住居の確認と記入が必須になりました。

日本や韓国、アメリカイギリスなどの国から入国した人に関しては、住居に着く前に別の大型施設(国際展覧会場、東京ビッグサイトみたいな規模)に全員強制的に移動させられ、感染していないことを確認後に各住居に政府から出された車両に乗って帰宅するそうです。また、無事に家に帰れても、現在は二週間の自宅待機が必須になっていて、一度小区に入ったら、二週間はゲート外に出れないという対策がとられています。(2020/3/14現在)夫の同僚は、イギリスから帰国後にマンションに軟禁状態になり、買い物にも出れず、毎日出前を頼んで、閉鎖されたゲートから格子越しに配達員から食べ物を受け取って生活しているそうです。

私が帰宅した際は、タクシーの敷地内入車が拒否され、自分のマンションまでメインゲートから700Mぐらいあるのに、痛いお腹を抱えて歩かされました。中国の管理は、完璧にトップダウンで有無を言わせません。1週間以内に出産してようが、生まれたての赤ん坊がいようが、荷物が大量にあろうがおかまいなしで、病院から帰ってきたなら尚更受け入れられないと、警備員に厳しく断られ、イギリス人の夫はブチ切れ、それでも人間かこのクソ野郎と怒鳴っていましたが、私は赤ちゃんを家に連れて帰るのに必死で、アドレナリンが出て歩けてしまったのですが、帰宅後に痛みが出たのでした。

その夜、当時はまだ授乳を胸からしていたのですが、私が必死で痛みを堪えて授乳しているにも関わらず、普通にベッドに行ってしまった夫を横目にがっかりし、体重が13%も出生時から減ってしまった赤ちゃんを抱えて、一階にある寝室でうとうとしていたのですが、異様に寒い事に気付き、二階の夫の寝ている寝室に移動しました。メゾネットで二階のが暖かかったからです。お腹は強烈に痛く、階段を一段上がるのもしんどいのに、赤ちゃんは重くて、更にどうしようもなく寒くて、ベッドに腰掛けて脚をあげたらまた傷にひびき、赤ちゃんをお腹に置くと、重みで更に中側が痛みました。

私はどうしようもなく悲しくなり、痛い乳首とお腹が可哀想で、なんで私がこんな思いをしなければならないのだろうと、泣きました。

赤ちゃんに罪はないので、お腹に乗せたままワンワン泣いていたら、夫がびっくりして起きて赤ちゃんを抱っこしてくれました。どどどうしたの?と聞いてくる夫を無視して、ひたすら泣いていたら、赤ちゃんも泣き出してその場はカオスに…

夫は途方に暮れて、後で戻ってくるから、ちょっと待ってて!と言って、下の階に哺乳瓶と搾乳したミルクを取りに行きました。

悪寒が更にひどくなって、全身がガタガタ震えて、暖房で暖かいはずの部屋がスキー場のように感じました。歯のガタガタが止まらなくて、痙攣のように自動的にすごい勢いで揺れていました。

戻って来た夫も私の異常ぶりに仰天して、何が必要か?と助けてくれましたが、そこまでいってしまった私はもう心底疲れ果てていて、話もまともに出来ませんでした。

後から調べてみると、麻酔の副作用や、帝王切開後にある症状の中の一つで、激しい悪寒があると知りました。悪寒戦慄と呼ぶ人もいるくらいで、自分があんなに制御不可能な状態になるとは思わず、ただただ恐怖でした。

その日を境に、無理をするのをやめようと誓いました。幸い夫は自宅勤務で家におり、助けを求めやすい状態なので、昼寝をしたい時はして、夜の授乳は乳首に拘らず、搾乳したミルクを哺乳瓶であげることにしました。夫には動けないから夜中一回だけ交代してくれないかと頼み、一緒に寝ることは無くなりましたが、別々に細切れに休みをとる事にしました。

初めの二週間は、お互いに疲れがピークに達して、会話もなく、自分の睡眠を確保するのに必死で、自分がどれほど育児に貢献していて、相手がしていないかを言い合ってしまい、常に険悪で不機嫌でした。

何度か大きな喧嘩と話し合いもして、私は産後うつの症状も出ていたので、彼に赤ちゃんをだいぶ押しつけて一人の時間を無理矢理作ったりしていました。

二週間後に、産まれた時の体重にやっと戻って、そこから肩の荷が下りて、少しリラックスできました。でも一般の赤ちゃんよりはかなり出遅れていたので、引き続き二時間おきの授乳をして、ミルクを飲ませることに夫婦で悪戦苦闘していました。

放っておくと三時間以上寝てしまう赤ちゃんを起こすのも気が引けますし、一回に多くて40ccしか飲めない子に何度も何度も哺乳瓶をぶち込むのも、なんだか嫌でした。授乳は義務感があり、楽しさはゼロで、毎日の体重測定が楽しみで怖くて、増えない日は落ち込みました。赤ちゃんとの絆は深まるというより、さらに離れていってしまい、出来れば一人になりたいとよく思っていました。

一か月の検診とワクチン接種で、病院に行った際に、沢山のナースや医師に囲まれて、計測されたり注射を打たれてギャーギャー泣く赤ちゃんを見て、どうしようもなく可哀想になってしまい、私が守らなければ!という強い感情が突然生まれました。

その日以来、泣いてもイライラしなくなり、何度ぐずっても、一回の授乳で1時間半かかっても、辛抱強く見守ってあげられるようになりました。考えてみれば、自分の身体の回復も、その前後まで時間がかかっていました。

傷口が痛むと、自分が惨めになり、他人にも優しく出来ませんでした。特に健康な夫には、お前は10か月もお腹に抱えていなかったんだし、お腹切る手術も出血もしてないし、不妊治療して辛い思いもしてないんだからもっと育児手伝え!と、怨念のような感情が常に抱えていました。

やっと1か月経ち、必要なものや、便利な物を買い足したり、三人の生活にお互いになれ始めて、やっと新生児との生活が軌道に乗り始めました。

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